新郎の父 20 工夫
CさんとCさんご一家に出会えたことは私にとって幸運でした。私がやりたい在宅医療の理想形のひとつと言えます。
『人間は最期まで生き方を選ぶ自由がある』と私は思っています。もちろん、沢山の制限があります。健康、家族関係、経済面が多くの場合に制限になり得ると思います。これらをCさんを例にとって表現してみます。
経済面に関しては、基本的に恵まれていたのだと思います。しかし、日本には高額医療費制度と限度額適用認定制度があるため極端な高額医療費は発生しません。その他にも難病医療費助成制度や自立支援医療制度、生活保護、ひとり親家庭等医療費助成などがあります。ですから、金銭的な面だけを理由にして希望した最期の生き方を諦めるのは早計かと思います。もしも、諦めてしまいそうになっている方がこのブログをお読みでしたら、私たちと一緒に解決方法を考えてみませんか?
次に家族関係。所詮は他人なのでCさんの家族関係が実はどのようなものだったのかは測りかねます。しかし、他人である私から見た分には、とても恵まれたお宅だと思います。お子さんたちはご両親のことを本当に大事にしていらっしゃいましたし、またご兄弟姉妹は新郎のことを大変心配されていらっしゃいました。理想的なご家族であると私には見えました。
健康面に関しては、ガン末期であったので恵まれているとは言い難いです。しかし約1年間の闘病生活の後に息子さんの結婚式に参列して亡くなることができたのは不幸中の幸いでしょうか。
私も以前は病院の中だけで働いていました。肉体的・物理的な制限が人間の全てであり、『結婚式に参列したい』とか『自宅で死にたい』なんていうのは、夢物語だと思っていました。しかし今回Cさんに出会うことで『そんなことはない。人間は選ぶことはできる』と私は断言します。世の人々が病気を患う際に、医療に制限されて最期を選べないのは非常に悲しく思います。人のために医療があるのであって、医療のために人がいるわけではありません。『穏やかに最期を迎えたいと思う権利』。それ位は皆さんも欲しくはないですか?
私には大病院の医師のような最先端の医療は提供できません。しかし、穏やかにそこそこ満足して死ぬためのお手伝いは今後も継続していきたいと思っています。
『死』ありきで始めるのが在宅医療ではないと私は信じています。人それぞれが、どのようにして有限の時間を過ごしたいかを共に考える医療だと考えています。『どうすればいいだろう?』と毎日考え工夫し、上手くいくこともあればそうではないこともあると思います。ただ、工夫を繰り返している毎日の延長線上に『旅立つ日』がくるだけだと信じています。
皆さんの希望が少しでも満足できるお手伝いをしていきたいと願っています。